【レスラー】俺が俺であるために。
名作と名高い映画、「レスラー」を鑑賞しました。
望んで手を伸ばしたもの全てを失ってしまった男が、向かう先にはー。、
愛する娘、愛する女性ー、そして新しい仕事。
あらゆるものが レスラーという職業を辞するための ある意味 希望として、手を伸ばせば届くような位置にあるのにも関わらず、レスラーとして歩んできた人生での振る舞いや態度によって、やはりその全てを手にすることができないというとびっきりの皮肉。
当時のミッキーローク自身とも そういった痛々しさをはらんだキャラクター像が重なったことで、まるでドキュメンタリー映画のような印象を与える作品。
最後の舞台に上がるまでの主人公は、ほんと「おいおい お前なぁ……」っていう あかん方 前のめりに進んでいくタイプのキャラクターなので 共感とかってしづらいし、ダーレン・アノロフスキー監督は 自分の作品に出てくるキャラクターへの愛が完全に歪んでるとしか思えないくらいに みんなひどい目に合うので今回もそれ系…?なんて思いましたが、ちゃんと主人公的には華のある最後として描かれていて、ほっ。
観客やレスラー仲間には こんな凄い男はいねぇ!って思われてんのに、大切な人たちにはそのレスラーとしての人間性によって 距離を置かれてしまうっていうのがめちゃくちゃリアル。レスラー状態のミッキーロークはめちゃくちゃハマってるんだけど、社会人状態のミッキーロークの 地に足ついてない感は異常。社会に馴染めてないっていうのを 説明なしで伝えてくる圧倒的にやばいビジュアル。どう考えてたって家のなかに入れたくないし、なんなら家の前にも立ってて欲しくない。娘がミッキーロークパパを頑なに嫌がってるのにも うなずくしかないレベルでヤバイ。
娘にそんな態度を取られたミッキーロークパパの気持ちも、しかし分かるんだ…。優しいんだもん、ミッキーロークの瞳って。泣いてるんだもん。瞳の奥で。めっちゃ ちっちゃいミッキーロークが。
そういった細かい演技が、主人公ミッキーローク改めラムの、レスラーとしてではない、人間としての葛藤を浮き彫りにしていく。哀れな姿が妙に似合うミッキーロークでした。
スーパーの売り場に出る手前で、プロレスの舞台に上がる前のカチンコの音がキィィーーン……って響くのとか 演出としてあんまりにも上手くて、伝えんとしてることが明確。とにかく分かりやすいし インパクトもあって、とても印象に残るシーン。
あと、マーベル版のスパイダーマンシリーズでもお馴染みのメイおばさん役、マリサ・トメイがめちゃくちゃ過激なキャラクター設定を付けられててビックリしました…。そんなキャラじゃなくて良かった気もするがな。。でも、良かったな。。
「どんな映画みてても、マーベル映画 出演俳優1人は出てくる説」ってヤツですね…!
観る前のイメージとは違い、あくまでも彼は彼へのケジメとして最後の舞台に上がるっていう展開が あまり記憶にない流れだったので、こういった物語の終わり方ってのもあるんだなぁと勉強になりました。
ハッピーエンドにもみんながハッピー系と、
周りのみんなには迷惑かけて傷つけてきたけど 、自分自身=レスラーという人生においては、ちゃんと観客を満足させて幕は下ろしたぜっていうハッピーエンドの形もある。
もっと終盤に向けてこの主人公に感情移入できたら良かったんだけど、まぁ展開としても、テーマとしても、頑張って主人公から全ての希望を奪わないといけないから、こうなるのも必然なのかな。さすが、ダーレン・アノロフスキー。一切の躊躇なく、我が子を谷底に次々と突き落としてゆきます。しかも 流れ作業のように手際いいから、同じ職場の人たちはちょっと恐怖感じてダーレンから距離置くし、なんならダーレン みんなから距離置かれるの 楽しんでるから、めちゃくちゃ笑顔。ストレスとか感じたことないし、自分が観客に結構なストレス与えてるとか今後も一切考えることはない。しかしそれでこそダーレンだ。
ダーレン監督の「マザー!」っていう映画も、最高でしたよ、みなさん。どうですか。
リンクを貼っておきましたよ。みなさん。
みなさん、どうですか。
みなさん。最高でしたよ。みなさん。
途中途中、プロレスの裏側というか「おれがこう殴るから おまえはこう返してくれ」みたいな、エンターテイメントとして ちゃんと魅せるための打ち合わせシーンをはじめて見たので、映画のシーンとはいえ とても新鮮でした。やっぱり そうなんだ!っていう喜びですね。そういう感情が湧きました。
それで 試合が終わった後、体に入っちゃったガラス❓とか、怪我を治療してるシーンは本物にしか見えなくて痛々しかったなぁ…。
レスラーって凄いなぁ、と ストーリーとか関係なく思ってしまう リアルな映画でもありました。